昨日、習い事の途中、先生とおしゃべりをしていたら、その先生が本昌寺のとても近くに子どもの頃住んでいたという話になりました。
住職より10歳くらい年齢が上の方なので、学校などでは重なっていないのですが、とても盛り上がりました。
私は結婚してから京都に来たので、京都の最近の(昭和の)歴史に少し触れたような気分になりました。
今から50年くらい前、この辺りは西陣の織り屋さんがたくさんあり、とても栄えていたというお話でした。
織り屋さんの友達の家に行くと、とてもリッチで小学生に全員お寿司取ってくれたり、家もとても豪華だったとのことです。
しかし、着物産業が衰退し、次から次に夜逃げされ、突然で挨拶もなく、いなくなる人がたくさんいたとのこと。
中立売通りにはまだチンチン電車が通っていて、プールに通うのに乗っていたという話など。
また、六軒町通りの辺りなど、理由もなく親から絶対に行ってはダメ、と言われていたスポットがあったそうで、大人になってから焼肉江畑さんに連れて行ってもらっても、その道には入ったことがないので、近所のはずなのにどこだか全くわからなかったとのことでした。
そのあたりが昔遊郭街だったという話は、「五番町夕霧楼」の映画で観たことがあり、なんとなく理由はわかりました。笑
さすがにその頃すでに遊郭の時代ではないですが、きっとディープな雰囲気は残っていたのでしょうか。
今は建て売り住宅やマンション、民泊などになっていて、小さなお子さんもたくさん住んでいるし、怖いスポットはありません。唯一、千本日活(映画館)が残っていて、レトロな雰囲気を醸し出しています。笑
ちなみにその方のお母様は本昌寺の妙子おばあさんのこともよくご存知とのことで、世間は狭いなぁと思いました。
ゴン太の散歩コース。千本通りの一本西側、五番町の名前のない縦の通りです。
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2020年10月7日(水)