昨日、滋賀県にあるミホミュージアムで開催されている「謎の蒔絵師 永田友治展(友は友の右上に`)」に行ってきました。
実は、数年前に東京の岩井胤夫さんという方から連絡があり、本昌寺が菩提寺である永田家について調べているとのことでした。確かに、過去帳を見たら永田家の方は数人過去帳に載っていて、うちにある住所録におばあさんの文字で永田さんという方の東京の住所が書かれていました。墓石は今は無いのですが、もともとはお墓もあったようで、元檀家だったことは明らかになりました。
その永田家の祖先で400年前に活躍した蒔絵師である永田友治さんのことをその岩井さんは調べられていたのです。
そして、今月再び本昌寺に来られ、「永田友治の研究」という本を出版され、そして作品など集めた展示会を滋賀県のミホミュージアムでしますとおしゃっていました。
岩井さんの出版された本です。
この中に、本昌寺のことも少し出ています。
永田友治(生没不詳)は、江戸時代の中期、正徳・享保年間(1711〜1736)ころ京都で活躍した琳派の蒔絵師と伝えられていますが、その実像ははっきりとしていませんでした。にもかかわらず彼の作品は、尾形光琳風の意匠に倣い、独特の緑色系の青漆や友治上げと呼ばれる錫粉を使った高蒔絵を用いる独創的なもので、いずれもミステリアスな光を放っています。彼はまた、光琳の使用した「方祝」の円印や光琳の号「青〻」に「子」を加えた「青〻子」を号として使用するなど、尾形光琳の後継者を強く意識した名を作品に残しているのです。近年、友治研究家の調査から、江戸中期に京都と大坂を拠点として活動した友治の姿がおぼろげながら見えてきました。今展はこれを機に永田友治の作品を集め、友治がめざしたもの、そして彼の作品の魅力や秘密について、化学分析による研究成果も交えて紹介します。謎の多い永田友治にせまる初めての展覧会です。
(ミホミュージアムホームページより)
ミホミュージアムは滋賀県の信楽近くにある、山深い自然豊かな環境の中にポツンとある美術館です。
噂には聞いていましたが、確かに遠かったです。こんな田舎に本当に美術館があるのか不安になるくらいの山奥です。笑
広大な土地に新しい近代的な建物が建っていました。
レストランなどのある棟と美術館は少し離れたところにありますが、電気自動車で送迎してくれます。
運転席のすぐ後ろに乗り、撮影。
途中きれいなトンネルがあり、それを抜けると美術館棟です。
夏の雲が綺麗に生えてます。
エントランスに入るとガラス張りの窓から素晴らしい景色が!!
広い廊下です。
ここを抜けるとやっと展示ルームへ。
立派な看板です。
ここからは写真撮影できません。
音声ガイドに従ってじっくりと鑑賞させていただきました。
芸術のことは全くわかりませんが、これが400年前に作られたもの、しかも本昌寺にご縁の深い方が作られたものだと思うとそれだけで感慨深いものです。
しかも、前日に本阿弥光悦ゆかりの光悦寺に行ったばかりだったので、これは偶然ではないような気がしました。
光悦寺には本阿弥光悦と尾形光琳の作品が並べられて置かれていました。
その尾形光琳の一番弟子(だと思われる)永田友治の作品を、二日連続で見ることができて、なんとも言えない感情でした。
作品展の中には、特別展示で本阿弥光悦の作品も展示されていました。
ちなみに尾形光琳の菩提寺は妙顕寺塔頭泉妙院で、義弟住職の善行院の敷地に現在尾形光琳の顕彰碑があり、そこには元々尾形光琳のお墓があった場所なのです。
数年前に琳派400年でいろんなところでイベントをされていましたが、その時は全く興味がなかったのですが、今はとても後悔しています。
展示ルームを出たところに映像ルームがあり、岩井さんが永田友治について説明されている映像と、永田友治が編み出した技法を現在の蒔絵師の方が再現して蒔絵を作る映像が上映されていました。それを見るだけでも、永田友治という人が本当にすごいひとだったということが理解できます。
すごく行きにくい場所ですが、できるだけたくさんの方に、永田友治展に行って見て欲しいです。
また、淡交社から出ている雑誌「淡交」6月号も、永田友治の特集をされています。
こちらにも菩提寺について本昌寺のことが少し出ています。
「謎の蒔絵師」というだけあり、まだまだ不明なことがたくさんあるようです。
本昌寺にも何かヒントがあるようなものがないか探してみようと思っています。